06 November
2006

プチ同窓会

もうだいぶ前の話になってしまったが高校時代の悪友たち5人程集まりプチ同窓会となった。
居酒屋の座敷みたいな席だったのでトイレに立った瞬間に友人達の頭を見下ろすかたちになった。
「おー、皆かなりきてるなー」頂点から禿げて来るんだね。もう40が見えて来てるから当然か。
トイレから戻ってきたら話題にしてからかってやろうと思いつつトイレへ。手を洗う時ふと鏡を見ると酒疲れした白髪頭のオヤジが、、、
俺か。
笑えんな、他人のこと。
おやじを自覚しよ、そろそろ。


Posted by shinobu at 07:56 | Comments (2) | Trackbacks (0)

また、自殺か

なんかまた校長が自殺したらしい。前にも書いたけど自殺を目の当たりにした私は書く義務があるような気がする、気が進まないけど。そもそも(基本的に)日本はいじめ社会であることを皆なぜ認めないのだろうか?私は幼い時から持病もちで(アレルギー体質が原因だ、今では現代人なんらかのアレルギーを持っている人のほうが当たり前の時代だ!)いわれの無いいじめをよく受けた。だからいまだに人付き合いは下手だし、怖い。子供は残酷だから自分より弱いものと認識すれば集団で攻撃する。そしてそもそもいじめ社会である日本は子供のそれを増長している。いじめを苦にした自殺が頻発するなか、校長という社会的地位があり、そして子供たちとより近い人々が自殺してしまう。ある意味無責任であると思わざるを得ない。人の命はそこまで軽いのだろうか?校長という職業は超エリートであるということに異論を挟む人はいないと思う。そうしてそういう人が自殺するのは今まで被いじめにあったことが無く、いじめられる、という恐怖心からではないだろうか?つまり報道だ。あるひとつの問題が浮上したときにそこまでやるか、と思うほど徹底的に火をともしてしまうTV,週刊誌のやり方はやはり”いじめ”なんじゃないか。それを容認している日本社会はいじめの文化なんじゃないかと思うくらい根が深いと思う。我々日本人が心の闇を持っていることをみんなでもっともっと認識しなければいけないはずだ(やることは否定しないけどいじめという繊細な問題に快活な討論会や合唱、それらに意味があるのか?)。そして今ここまでいじめが問題化するのは心の闇を癒す空気がなくなったからだろう。合理化のために捨ててきた色々な一見無意味なもの(心、文化)をとりもどさなければいけない。。。


Posted by shinobu at 16:20 | Comments (4) | Trackbacks (0)